深夜特急(ミッドナイトエクスプレス)

何年かに一度、深夜特急マニアともいうべき人に出会う事がある。
先日も、ある宴席で同年代の方と偶然「深夜特急」の話になり大いに盛り上がった。
酔いも手伝い、昔話を延々と語りつくしてもまだまだ喋りたらず、「今度あらためてゆっくり飲みながら話しましょう」となるのが定番である(笑)
「深夜特急」は3部作の超長編小説であり、若者の「旅のバイブル」といわれた本であり、この本の表紙のデザインは今でも素晴らしいと思っている。
発行は今から26年前の1986 年、作者の沢木耕太郎が1年をかけてユーラシア大陸を旅した小説である。
「二十六歳から二十七歳にかけて、約一年間、ユーラシアを旅行しました。インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合バスを乗り継いで行ってやろうという酔狂な思いつきが発端でした。東南アジア、インド、シルクロードと、土の上をずっと辿ってゆくことによって、徐々に体の中に距離計のようなものができてきて、地球というのは自分の足で歩いたりバスに乗ったりして大きさを把握できる土地なんだということが判りました。これは僕にとって、ちょっとした収穫でした。」
筆者談。(裏表紙に記載)
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出版されてから今までにに何度かベストセラーにもなっており、その年代の若い読者達がリュックを背負って(手提げはダメで、ましてヴィトンのバッグなどはもってのほか!)旅に出かけたと思われる。
私のような単純な人間にはたいへん影響力のある本であり、今でも第一便(第一巻ではない)の香港で作者が失業者にソバを奢ってもらうというエピソードが好きで読み返すことがある。
実はこの本の購入は今回が3回目となり、2回目は自宅がアパートだったので物が置けず単行本の小さな本が3冊並べてあったのだが、やはりこの本は私にとって特別な本であるとの自分勝手な思い込みから新たに買い直して今は本棚に飾られている。
ちなみに、関連図書としての写真集、その後のエッセイも何冊かあり、自宅の本棚の一角はちょっとした沢木耕太郎エリアとなっている。
今から20年以上前の話である。
この本に洗脳されていた私は、歯科医院開業前の2週間は日本一周をバイクで横断するんだなどと綿密に計画を練り意気込んでいたのだが、出発間際になって歯科医師会入会のゴタゴタという夢も醒める現実に巻き込まれ、2泊3日の四国一周(実際は一周ではなく、行って帰ってきただけ)にあっさり変更することになった(笑)
しかし、このお遍路さんのような四国一周の旅が意外にハードスケジュールだったうえに、大型台風にも巻き込まれてすごい高波の沿岸道路を、「明日帰らないと業者さんとの打ち合わせに間に合わなくなってしまう」との思いだけで猛スピードで帰ってきた記憶がある。
ユーラシア大陸の旅とは比較にならない、何ともカッコ悪い間抜けな話である。
よくも悪くも影響を与えてくれた本だが、友人に貸した途端トルコ旅行に出かけてしまったのには驚いた。
これからもこの本について考えてもみたいと思っている。

院長ブログ 2011.03.26
東日本大震災雑感

3月11日、午後14時46分、宮城県牡鹿半島東南東約130キロ、深さ約24キロを震源とする巨大地震が発生しました。破壊力は関東大震災の約45倍、阪神・淡路大震災の約1450倍、世界の観測史上の4番目のマグニチュード9,0の巨大地震、そして瞬時のうちに街を呑み込んだ大津波、さらには原子力発電所の相次ぐ事故と続き、天災と人災が同時に起こったこれほどのもは「想定外」とのことです。
(このブログは地震後に書いたものです)
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当日、私は南保健所にて歯科衛生士さんが行う口腔ケアセミナーのお手伝いをしていました。セミナー開始15分前のこの時間に担当の方とお話をしていたのですが、この方は揺れに気づいたそうです。
しかし、会場にいた多分全ての方はこの、揺れをまったく意識することなくセミナーを聞いておられたと思います。
それぐらい京都では揺れが小さかったお思われますがセミナー終了後、診療室に帰るとスタッフから「地震で東北地方がたいへんなことになっています」との報告を受けました。
そして、テレビでは同じ日本とは思えない光景が映されていました。
私はたまたまテレビを見る機会がありこの出来事を早くに知ることができましたが、テレビを見る機会のなかった方々は夜遅くに自宅に帰ってからのこの映像にはしばらく理解できなかったと思います。
2日後のテレビでは海外メディアが「日本人の秩序を持って冷静に取り組む姿に感動した」と伝え、ニューヨーク市民は「日本の復興力は逞しい。日本は倒れない」という声を取り上げていましたが、この報道が被災地以外の日本人の気持ちを高ぶらせたことは言うまでもありません。
全ての方が阪神大震災での経験を生かし、まずできることを考えたのだと思います。
衣服、食糧ではなく「お金」すなわち募金、これは過去の経験が確実に生きています。
まず、「私にできること」を考えた結果がお金であり、重要なテーマだったように思えます。
現在、当院にも募金箱を設置していますので、是非、お金を入れてください。
よろしくお願いします。
今後この大震災を取り巻く環境で、自分で思うことがあればまた書いていきたいと思っています。

院長ブログ 2011.03.11