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2010年10月

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シネマ雑感:「砂の器」記念碑を訪ねて

2010年10月25日

「スクリーン」という映画雑誌で、「砂の器記念碑」というものが出雲にあるという記事を読んでからもうずいぶん経ちました。
高校時代に、松本清張、横溝正史、森村誠一などの推理小説にはまっていた時期がありました。
(記憶が曖昧なのですが、松本清張はカッパノベルス、他の二人は角川文庫だったような気がします)
特に横溝正史の本の表紙にある挿絵からは見るからに読むと恐いんだぞという雰囲気を醸し出していました。
さて、高校生時代に見た「砂の器」というこの映画ですが、この年齢になっても私にとっては最高の名画であります。
(今でも2,3年に一度はレンタルして見ます)
もう10回以上見てることになりますが、いまだに色褪せることはありません。
この映画は「東北弁のかめだ」というキーワードと、ハンセン病に患う親と子供の旅の描写が映画の大筋を占めます。
今回、この憧れの地を訪れることになり当時を振り返りたく、家の本棚にあるカビ臭いこの映画のパンフを探し出して最初から読み直し、また近所のレンタルショップでDVDを借りて見直しました。
何もここまでせんでもとも思いましたが(笑)
まず、記念碑ですが映画雑誌に紹介されていた写真そのままのものでした。
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まさか、35年経って高校時代に鑑賞した映画のゆかりの地に来るとは思いもしませんでした。
この記念碑の傍に長い石段があり登っていくと、映画に出ていた親子が隠れていた神社だと簡単に想像できました。
この石段を「緒形拳」扮する三木巡査が駆け上がるところを思い出しました。
その後、次の目的地であるここから車で少し行ったところにある亀崇駅に向かいました。
101010_165132.jpg
映画ではこの駅のある地名が大きな意味を持っています。
「あれっ、ひょっとして何も変わってないのでは?」
いくらなんでもそんなことないだろうと思いながら、無人駅の改札を通り構内に入ると・・
正直、言葉で表せないくらいに本当に驚きました。
そこは映画と同じ風景でした。
昔、ハンセン病(らい病)は偏見と差別を併せ持った病です。
伝染病と信じられており隔離するために親子が別々に離されるのですが、それでも子供が戻ってきてしまうというシーンに使われたこの駅は映画のシーンまったくそのままでした。
映画のパンフレットには「山陰、亀崇は親子の旅の終わりの地であり、それだけにロケハンにも日数をかけ、ロケーションもたっぷり10日間を費やした。亀崇を中心に木次線の木次ー三成間を丹念に撮影したが、特に亀崇駅での父と子の別れは哀切の極みであり、普段は機械のように平静なスタッフの面々が、思わず貰い泣きをするほどだった」と書かれています。101010_164933.jpg
多分もうここに来る機会はないと思いますが、35年間まったく変わらない風景を十分目に焼き付けてきました。

出雲駅伝

2010年10月11日

10月11日、出雲全日本大学選抜駅伝の応援に行ってきました。
駅伝も大学対抗戦となると意味合いが変わってきます。
地元と思われる方々が、母校(中央大学)の赤い「C」の入った帽子を被って応援談議をされていました。
なかでもお年を召されている方が「毎年、この時期になると血が騒ぐわい」と言われていたのが妙に耳に残っています。
多分、この出雲地方近隣の方で、東京の中央大学を卒業されふたたび地元に戻ってこられたと思われ、毎年応援に来られていると察します。
大きな総合大学では学部、競技を超えて母校の応援に駆け付けられるところが羨ましくもあります。
出雲神社に向かう幅5メートルぐらいの小さな歩道で繰り広げられる、多くの大学の応援合戦の賑やかさには驚かされました。
各大学のカラーがあり、応援の幟がたくさん立っています。
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この毎年行われる出雲駅伝は、地元の方にとってはたいへん大きな行事なのだと思います。
地元の方々と一緒に十分駅伝を楽しむことができました。
京都への帰途についたものの高速の渋滞もあり、3時に出発したにも関わらず到着は翌日となりました。
閉会式にも参加した選手、ブラスバンド、応援団、チアガールが高速バスで東京に到着したのは次の日の昼近くだったそうです。